【体験記】結核との闘いから生還して

闘病記

みなさん、こんにちは!

いくら好きブログのしん(shin)です。

とうとう書くことにしました!病気についてのこと。

プロフにも書いている通り、

以前結核になり、そこから助かったというなかなか体験をしたので、

今回はそのことについて書いていきたいと思います!

書く過程で下記のようにもがきながら描いた記事ですw  

治療法や病気についての知識を記載することが目的ではありませんのでご注意ください。

結核にかかった時の自分自身の状態

2014年の4月に奥さんと入籍し、

第一子の妊娠がわかり幸せに暮らしている日々を過ごしていました。

仕事は忙しく、残業も終電まで働くことがしばしば。

身体には少しずつ不調がでてきており、
ものもらいが出たりして明らかに免疫が落ちている状況でした。

結核の初期症状から発覚まで

ある日、呼吸が少し苦しく、少し歩くだけで息が切れるという状態になりました。

横になって寝ると仰向けになることが苦しい。。。

でも、咳が出たり、熱があったりということはまったくありませんでした。

そんな症状を奥さんに伝えたところ、

奥さん
奥さん

絶対に病院に行った方がいい!!

と強く言われ、

しぶしぶ呼吸器内科へ行ってみることになりました。

まずレントゲンを撮ると、結果を見た医師が、

レントゲンの写真を見せてくれました。

右半分の胸がほぼ真っ白い状態になっており、
水が溜まっている
 
という状態でした。

すぐに大きな病院を紹介され、精密検査を受けることになりました。

大きな病院で右胸のレントゲンと、血液検査の数値を見て、

3割癌の可能性もある
もしくは結核のような他の病気です。
 

と診断を最初にうけました。

いくら好き
いくら好き

癌というのは全く考えていなかったので、

帰ってから頭が真っ白になりました。

結核の闘病生活で一番つらかったこと

今回の病気で一番つらかったことが実は入院まえにありました。

結核の検査のためには血液検査では足らず、

鼻、もしくは口からチューブを入れ、胃液を採取する必要がありました。

このチューブを入れるのが、とにかくツライ汗

何度も医師が試みますが苦しすぎて入院前には検査を断念しました。

結核での入院~ドレーンの手術~そして退院へ

結核かどうかわからない状態で、即入院へ

そして、結核の可能性があるので完全に隔離された個室が用意されていました。

結核の疑いがあったこともあってか、

非常に手厚い看病をうけました。

大学病院だったので、
偉い先生のドラマのような総回診も経験することができましたww

 
そしてまた、鼻からチューブをいれ、胃液を採取する試みを。。

でも、入院する前とは違って、ベッドに横になってできたので数倍楽ではあったのですが、

何と一度ではうまくとれずに、2回、3回とチューブを入れなければいけませんでした。

しかし、その甲斐もあって結核菌が見つかり、結核としての国の補助を受けながら治療を行うことができるようになりました。

*結核医療費助成があります!

ちなみに、結核といっても、肺結核で血を吐くような咳などはなく、

結核性胸膜炎といって、胸膜に炎症が発生し、水がたまるというのが自分の診断でした。

その後すぐに右胸にたまっている水を抜くため、

ドレーンを挿す手術が病室のベッドでありました。

胸の水自体は数日ですべて抜け、一週間ほどでドレーンはとれました。

ドレーンには2リットル以上の体液がたまっていたので、

体重も2キロ近くやせました。

結局、ドレーンを抜いてから抜糸まで2週間とちょっとで退院することができました。

だいぶ、すっ飛ばしましたw

結核の闘病を経て伝えたいこと

自分が病気になって一番苦労をかけたのは、

妊娠していた奥さんだったと思います。

もうお腹も大きくなって、生活も大変だった時に病気にかかってしまいました。

奥さんがお見舞いに来てくれる時には笑顔だったけれど、

後で聞くと泣いていたそうです。

大切な家族に心配ばかりかけていたこの入院期間、いろんなことを考えました。

健康第一であることが本当に大切だということは言うまでもないですが、

自分の大切な人のために生きるということ、

少しでも長く一緒に過ごせるようにするということを本気で考えるようになりました。

闘病記は以上です。

読んでくださった方の健康を何よりも祈ります!

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